義父の介護で本心と向き合う
義父の介護も、半年すぎ、老人介護の大変さが身に染みてきているところです。(^^;
義母の認知症介護は28歳の頃から始まり、途中義母の姉でもある叔母の複数介護も経験し、当然子育てはそんな中で行われていたわけだから、大変だったわけなんです。
今回、義父の介護は主人メインでやってもらっています。
私は、食事のお世話と主人がいない時のお風呂の介助、ケアマネさんとのやりとり、時々、失敗する下の世話や、一緒に手伝ってと依頼された時に動くようにしています。
正直、もう介護はこりごりという心の声が聞こえてきます。
道徳的には、困った人の手助けをすることが良い事だって言われていますが、自分自身の困った声にもしっかりと向き合わなければなあと、気づきました。
いったいだれが分かってあげるんだって。
認知症介護や老人介護、人の世話ばかりの人生で、自分のやりたい事や一人の時間などをないがしろにしていないだろうか、ここずっと考えています。
なので、先日東京へわざわざグループコーチングというスタイルで、今年一年の目標設定を学ぶセミナーに参加してきました。
2020年を迎えたこの時に、介護で先が読めず、疲労困憊してストレスもたまり、そんな感じ方を自分の人生に向けて、人生の質を落としたくなかったんです。
自分自身が自分の人生に残念な意味づけをし、質を落とすことをしたくないって思ったんです。
確かに、18年も自分の親ではない夫の母親の介護をしたことを立派なことだと言う方もいるかもしれません。
が、それはそれ。
その間に、振り返ってみて自分の気持ち、思いにどれだけ向き合ってあげられたんだろうって、義父の介護で振り返ることになっています。
「もう、うんざり!」
「自分の親のことだから、もっと自分でみて!」
「責任を押し付けるな!簡単なことくらい私に押し付けず、介助しなよ!」
今、思えば大声をあげてもっともっと言えば良かったのかもと思っています。
場合によっては、家を出たって良かったんです。
でも、それをせずにずっと我慢し、私が騒ぎを起こさなければ丸く収まるからと。
自分自身をごまかし、感情を抑え込んでいたのかもって思います。
そう感じるのは、義母の介護の時で、大変だったエピソードを思い出そうとしても、たいして思い出せないから。
全てが大変だったと言えますが、具体的に思い出せない。
数日前に、過去書いていた介護ブログがあったことを思い出し、読み返してみたら、なんだか泣けてきました。
まあ、よくがんばってきたんだな~って。
↓ 頑張っちゃう介護、支える側も時には支えてほしいかも☆彡
夫に、介護大変だって話すと、自分の母親が壊れていくのを直視できないからということと、夫自身の仕事が大変だったので「これ以上俺にストレスを感じさせて、病気にさせたいのか!」というセリフで黙るしかなかったから。
これ、脅しですよね。
あなたの親のことです。
今、義父の介護を実際に夫が動いて、介護の大変さを痛感しているのと同時に
「本当によくやってくれた」と私がやってきた義母の介護を再評価しています。
私も手伝ってはいるので、以前の私と同じ立場まではいかないのですが、本当に良かったと思っています。
今、ようやく18年の義母の介護の大変だった私の心が癒され始めているのかもですね~。
義父の介護、見放すわけではないし、やるべきことはやろうと思っていますが、今度の介護はしっかりと自分の心の声に耳を傾けて、無理をしないようにしていこうと思っています。
そして、やりたい事もあきらめないで、やれるための知恵を出しながらやっていこうと思います!
↓ 介護があっても自宅で一人で仕事がやりたい、そんな思いで始めました。(笑)
さあ、いつまで続くか?老人介護!
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